のぶろぐ

看護師→海外留学→Webエンジニアのキャリアを歩みながらその日常を綴っています。

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【マザコン】と言われてもいい。限られた時間大切にします。

      2015/08/17

こんにちは。看護師を辞めてオーストラリアでワーホリをしてきたクスモトです。

この記事を書こうと思ったのは、このテーマについて書いてみようという企画があがったから。私は3月からこのブログを始めたんですが、始めたブログが同じ時期の人で情報交換するコミュニティーがあります。企画してくださった方々、ありがとうございます。様々な情報を共有できるので、有り難い存在です。

【参加条件】
1,テーマ:【子どものときの母親との思い出】※記事タイトルは自由。
2,どなたでも参加自由です。 ※同期ブログ参加者以外でも大丈夫です。
3,SNSに投稿するときに【#doukimc】のコメントをつけてください。 ※記事のタイトルにはつけなくてもいいです。
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SNS上で【#doukimc】のタグで検索してもらえるとわかります。
6,こちらの参加条件を記事に書いてください。

 

今回のテーマは【子どものときの母親との思い出】。ということで思い出を振り返っていきたいと思います。

 

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母親との思い出

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どんな思い出が出てくるだろう。と期待をして読んでくださっている方を早速裏切ってしまうことになりますが、【子どものときの母親との思い出】と言われて、憶えていたのは【朝から母親を怒らせてものを投げさせてしまったこと】。【どこに行くにしても一緒についてきてくれることが多かったこと。】【家事いっぱいやってくれたこと】でした。

 

子どもの頃の思い出って言ったら、【野球やっていたこと】とか、【小学校の時に好きだった子のこと】とか、【嘔吐が止まらなくって夜に救急外来に行った記憶】とか、【歯医者の帰りに歯が欠けた記憶】とか、【電車の中で漫画読んでたら気持ち悪くなって吐きそうだった】とか、事実や大きなイベントしか出てきません。当時の私にとっては印象的だったことなのでしょう。

 

当たり前になっていた母親の存在

 

今思えば、母親という存在がいて当たり前になっていたのだと思います。
当たり前のようにご飯を作ってくれたこと。
当たり前のように家事をしてくれたこと。
当たり前のように必要なものは揃えてくれたこと。

 

仕事で忙しいはずなのに。仕事のあとで疲れているはずなのに、文句一つ言わずにやってくれていました。当時の私にとってはそれが当たり前だったのです。

 

当たり前だったからこそ何の有り難みにも気がつかず過ごしていたのだと思うんです。

 

自分で揃えるべきものを母親に依頼し、揃えることが出来なかった母親に怒ることもありました。でもそのことを謝るんです。怒られる時もありますよ。沢山怒られましたよ。でも翌日には何もなかったかのようにしてくれました。起きたらご飯が作ってあることが当たり前でした。弁当も作ってくれて当たり前でした。

 

当時、もし母親がいなくなったら。なんて想像したこともなかった。だって、いて当たり前だったから。

 

当たり前という最高の幸せ

 

私、看護師として仕事をしていました。沢山の亡くなる方とその家族を看てきました。人はいつか死にます。これは生きている以上、誰にも変えることはできません。いつ死ぬかはわかりません。

 

そして、そのいつかわからない死を目の前にした時、大半の人がこれまでの人生に必ず後悔をします。【もう人生に悔いなし。】って方は本当に数える程度です。本人だけでなく、家族も後悔するんです。【もっと話聞いてあげればよかった】とか【仲良くしとけばよかった】とか。あげればきりがありません。

 

この光景を何度も見てきて後悔をすることを知ってからこそ少しでも後悔を減らせるようにしようしています。

 

最近、実家で暮らしている私ですが、この時間はいつまでも続かないんだな。って思いながら過ごしています。世界にたった一人の両親。クスモト家を選んで、人間として生まれてきた私。

 

母親には迷惑をかけてきました。困り果てさせてしまったこともありました。母親からしたら母親として当たり前のことをしただけと思っているのかもしれません。

 

一人ぐらしをしていた時は【今日実家に帰るから何かご飯用意しといてほしいー】って言って帰ったらご飯を用意しててくれたり。
今でも【腹減ったー】って言いながらキッチンに言ったら【チャーハン作ろうか?】とか。

 

今は作ってもらうことが申し訳ないので断っていますが、どうしてここまでしてくれるんだろうっていつも感心・感動しています。

 

母親が出かけるときも【気遣わずにやりたいことやってきなー】っていつも言ってます。口癖になりそうです。

 

残された時間で私ができること

 

最近では、私のために何かをやってもらってる時って、自分が寿命を縮めてしまっている。やりたいことをさせてあげれなくなっている。とまで思うようになるようになりました。

 

人間誰もが与えられている時間は24時間で決められています。仕事から家に帰ったら20時ぐらいにはウトウトしまう母親。眠いけどテレビを観たいから頑張って起きている母親。

 

そんな母親を見て【眠いなら寝れば良いのに】と思わずいつも笑ってしまう私ですが、母親がそのようにしたのだから、何も言わずにやりたいことをやらせてあげれるように気を使わせないようにする努力をしています。

 

看護師という安定していると思われている仕事から海外に留学しに行くといい、帰国してからも定職と言われることをせず、両親からみたら間違いなく心配でしょう。先日も【やりたいことは最近どうなの?】と聞かれ【雀の涙ぐらいは稼げたよ。】というと鼻で笑われました。完全に心配されてますよね。

 

今までのお世話になったこと、今心配されていること、これらのことをバネに母親のやりたいことをやらせてあげるようにする。これが今の私にできる親孝行だと思っています。限られた時間の中で、少しでも多くの思い出を作っていけるようにします。

 

マザコン。と言われてもいい。限られた時間大切にします。

 

小学校や中学校の時って、母親のことが好きっていうと【マザコン】だと言われ、かわれてしまい、それがイジメに発展することもありますよね。なので、母親に対してみんなの前では冷たくしていました。かといって家での会話も一問一答みたいなコミュニケーションになって。反抗期が重なったのもあったし、これまで述べたように存在が当たり前だと思っていたから。

 

時が経ち、当たり前が当たり前であることに感謝するという気持ちを知り、感謝の気持ちと同時に大切にしないといけないという気持ちも芽生えました。当時は周りの目を気にしてかっこつけ冷たくしていた私ですが、今なら周りの目を気にせずに話せるし、限られた過ごせる時間を大切にできます。そして何より大切な家族なので、これからも大切にしていきます。

 

先日、私の弟に向けての母親の手紙を見つけました。

 

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ちょうど俳句になっています。俳句を意図して俳句になったかはわかりませんが、思わず笑ってしまいました。短い言葉なのに、ずしっと重みがある言葉ですよね。

 

さいごに

ここまで成長させてくれて、ありがとうございました。もうちょっと迷惑をかけると思うけど、しっかりと親孝行していくから。もうちょっと待ってて。これからもよろしくお願いします。

 

すべてに感謝。

 - 心の中

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