のぶろぐ

看護師→海外留学→Webエンジニアのキャリアを歩みながらその日常を綴っています。

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NHK特番”老衰死〜穏やかな最期を迎えるには〜”死という人生の一大イベントをどのように迎えるのか。

      2016/02/07

超高齢化社会に着実に向かっている日本。NHKでとても興味深いタイトルの番組が放送されていた。【老衰死〜穏やかな最期を迎えるには〜】誰もに必ず訪れる”死”。

その人生最後の時をどのように迎えるのか。最期ということに考えさせられながら、その時の家族は。とても考えさせられました。また死ぬ時に苦痛を感じるのか。ということもテーマとしてあげられていました。

 

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そもそも老衰の定義はなんなのでしょうか。

老衰とは
生物学的・医学的には加齢による老化に伴って個体を形成する細胞や組織の能力が低下することである。恒常性の維持が困難になることが原因である。

wikipediaより

老衰死は年間75,000人に登っています。これは増加傾向であり、過去最大です。高齢化も一因にありますが、この老衰死の背景には自然な死を受け入れること人が増えていることも背景としてあるのです。

自然な死というのは、延命治療をしないことを指します。点滴や胃に穴を開けてそこから栄養摂取を行う胃瘻(いろう)も行わずに口からの摂取を栄養摂取の主な経路とします。点滴や胃瘻を行うことは、本人による自然な栄養摂取ではなく、他人、言葉を変えれば侵襲的な栄養摂取になります。口から栄養をとれなくなってそれでも点滴や胃瘻を使い、栄養摂取を行うのか。それとも口からとれなくなったのだから、自然な形を選ぶのか。これは、完全に最期の質に関わってくるのではないでしょうか。

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ある研究結果では、延命治療(点滴や胃瘻)を行った場合でも生存期間には影響がなかったという研究結果が出ているそうです。口から栄養を取れなくなるのは、老化により飲み込む機能が低下してしまったり、食事を摂取する動作がとれなくなってしまうことが考えられます。ある調査によると老衰死で亡くなる方は、1週間前から食事をとらなくなるそうです。

これに関係するのが老衰に伴う細胞の死です。老衰により細胞が壊れます。この時に“炎症性サイトカイン”という物質が放出され、その影響で周りの細胞も一緒に機能低下してしまうのです。細胞が壊れ機能が低下するということは、栄養の吸収効率も悪化ということです。つまり、身体も栄養の必要性を感じにくくなり、食事の摂取量が減っていくのです。
栄養の吸収が悪くなるので、体重減少も起こっていくそうです。

人は老衰死で最期を迎える時に苦痛はそこまで感じていない

最期に苦痛を感じているかということを、確かめることはなかなか難しいことでした。なぜならば、最期が近い人に様々な機械をつけて、調査をすることが倫理的にどうなのかということが問われるからです。そこで、延命治療をしない方を対象に不快指数の点数を決め、調査をすることにしました。その結果、死が近づいても不快感は低いまま。ということがわかったのです。老衰により脳の機能が低下しているため、痛みも感じづらくなっていると考えられています。

最近”QOD(Quality of Death)死の質)”ということについて考えることが少しずつ普及しているそうです。どうしても人生を考えた時に何年間生きたかという生きた年数で考えてしまいがちです。死ぬことが人生の終わり。死ぬことが負けという考え方が世論としてあります。このQODでは生きている間のみでなく、どのような最期を迎えることが出来るかということを考えるようにしているそうです。死ぬことが負けなのではなく、安らかに逝けないことが負けだという考え方です。

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先述のように人は亡くなる直前になると食事の摂取量も低下していきます。また浅く苦しい呼吸をするようになります。食事の摂取量が低下したからといい、食べたくない食事を無理矢理すすめるべきなのでしょうか。呼吸が苦しそうだからといい、酸素のカテーテルをつけるべきなのでしょうか。食事をとらなくなることも、呼吸に変化が訪れるのも生理的な自然の摂理であれば無理に押し付けることはないのではないでしょうか。家族の思いを優先して、無理に長生きさせることは果たして良いことなのでしょうか。とこの番組は問いかけてくれました。

終末期の医師や看護師といった医療従事者の役割

身内が亡くなることは精神的に大変苦痛を伴うことです。死に直面することがほとんどない方にとってはすべてが苦痛に見えてしまいます。そこで家族や亡くなる方を支えることが出来るのが、医師や看護師といった医療従事者ではないでしょうか。

目の前でどんどん衰弱していく人に対して何もしてあげられないと自分自身の無力さを感じるものです。最期の時に、何かをしてあげられたか、何もできなかったかっていうのは、その後の人生で後悔として残るか残らないかって本当に本当に大切なこと。今回は例として、アイスをあげるのが映されていました。

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亡くなる方が大好きだったバニラのアイスクリーム。飲み込むことはできないけど、口の中にいれてあげるだけでもいいんじゃないですか?という提案だった。アイスクリームを口に含んだ時、口をもごもごと動かして、とても嬉しそうな表情をした。本人も嬉しそうだったし、付き添っていた家族も本当に嬉しそうだった。その場が和んだんです。

この体験って本当に大切なんですよね。最期にアイスクリーム食べて、ニコってしたことって良い記憶として残るから。

今回の取材は芦花ホームという特別養護老人ホームで行われていたのですが、この老人ホームの温かさには本当に胸を打たれた。最期の場所となるわけだけども、どうやったら穏やかに亡くなることができるのかを考えながらチーム医療をしている老人ホーム。最期の時間を作ってあげられる場所って本当に素敵だと思った。付き添いの人に対しての配慮も本当に素晴らしかったです。

最期に近づく身内を目の前にした家族に医師が語りかける描写でのシーンでの言葉が非常に印象に残っています。「”静かに最期に向かおうとする方をそばで見守ろう”」

後記

この番組を観る前は【穏やかな最期を迎えるには】とタイトルがあったため、穏やかな最期を迎える答えが出されるのかと思っていたが、そうではなかった。だが、この放送の中で以下のことを伝えてくれている。

①延命治療(点滴や胃瘻)を行った場合でも生存期間には影響がなかった
②老衰死で亡くなる前は体重の減少が起こる
③老衰死で最期を迎える時に苦痛はそこまで感じていない
④静かに最期に向かおうとする方をそばで見守ろう

穏やかな最期を迎えるためにというタイトルながら答えを出さなかったのは【最期の瞬間は人それぞれ違う。答えを出すのではなく、老衰死の傾向と事実を伝え、それぞれで老衰死に考えてほしい】という問いかけの意味を含め、答えを出さなかったのではないだろうか。人生誰一人同じものはないので、亡くなり方も十人十色であるというメッセージを私は受け取った。

生を授かった以上、誰にも必ず訪れる”死”。人生の一大イベントをどのように迎えるのか。大変内容の濃い放送であった。

老衰について書かれているわけではないですが、積極的な治療を行わないことについて述べられている本です。病院に入るとどうしても医療を行わなければいけないので、点滴や酸素の管をつけたりしますが、それがすべてではないと私は思っています。リンクする部分があるので、オススメ本として紹介させていただきます。よろしければ読んでみてください。

 - 心の中, 看護師

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